「主人公」「ではない」ということ

私は主人公ではない。

 

「あなたはあなたという人生の主人公」なんて言葉があるがあれは嘘八百であると断言出来る。

 

なぜならこの言葉は「主人公側の人間」しか使ってないからだ。

 

まさしく風説の流布、デマ、ガセ。こんな悪魔のような言葉を誰が思いつき、拡散したのだろうか。

 

とにかく私は主人公ではないので「主人公」でないことを理解している。

ここで私の考える主人公たるを発表しておこう。

私は主人公を「無知で幼稚」だと考えている。

これは馬鹿というわけではなくそれが許される境遇、また後に許されることになる事を言っている。

 

物語の主人公というのはどこか抜けていなければならない。そうしなければモブが感情移入出来ないからだ。

物語の主人公というのはある1点でも無垢でなければならない。そうする事で仲間に恵まれるからだ。

 

無論逆も然りである。

穴がなく、狡猾で、繊細ならばそれも主人公として近いものになるだろう。

 

 

そこで私はどうだろうか。

今あげた全て要素が中途半端なのだ。

それを理解してるからこそこの現状がもどかしく、自分を許せない。

 

私は早く大人にならなければならないと思う。

だがそれを、理性を超える何かが否定しているようにも思える。

やはり架空の物語によって生かされ、架空の物語によって殺される私は主人公になりたいという願望があるのだろう。

 

結局私が決めるしかない、という点では主人公なのだろう。

 

しかし、こんな物語を望んではいない。望んではいけないのだ。それでは

 

kakesobaでした。