私が漫画を買う時は大抵ネットでの評判を見てから買う。
これはあくまでネットの評判限定だ。リアルの知り合いから進められた漫画で買ったし好きになったのはヒカルの碁以外には存在してない。
この事から私はネットというものについてある程度信頼しているのだろう。
いやその程度には信じている、ということにしておこう。ネットニュースやアフィブログは信じてないし見てもない。その代わりに知見は広がらないが。
と言ってもネットの情報だけで漫画を買っているかといえばそうとも言えない。そこからその作者が描いた他の作品を買うことが多々あるのだ。
これは所謂作者買いに該当するのだろうか?
ではここからが本編である。
私は数年前にインターネット掲示板で安価スレを建てた。その内容は「安価の漫画をBOOK・OFFで買ってくる」というものだ。
衝撃、というよりは少し引いていたのかもしれない。こんなに可愛い絵柄で不思議な作品を描く人がいるもんだと心底驚いた。
迫り来る内面の悪や人と人との決定的な違い、それらを全て忘れてしまったかのような頭空っぽで読めるコメディテイストな話。
それらがごった煮になってグツグツ煮込まれているその漫画は最終巻でキッチリと「纏まる」のだ。
私はこの漫画が好きになった。
しかしそれまで。この時点では特別この作者にはなんの思いもなく、「サブカル野郎」ぐらいにしか思っていなかった。
月日は流れ、私が前職で泊まりの仕事をしている時にサボってTwitterを見ていると、「月曜日の友達」という作品が無料で読める、というツイートを見つけた。
心底暇だったのだろうか、それとも見えざる何かに吸い寄せられたのだろうか。私はそのツイートに記されてるURLをタップした。
そのサイトに掲載されていた漫画は(もちろん公式である)、その絵柄が妙に見覚えがあった。
作者を確認するとその名前は前述の「空が灰色だから」の作者と同じ名前だった。
初めて「空灰」を読んだ日からだいぶ時間が経っていた。なにか運命的なものを感じた。そして私は「空灰」の胸に突き刺さる精神的グロさを求めていたのかもしれない。
その「月曜日の友達」を読み始めた。
「月曜日の友達」と「空灰」の共通点は主人公が思春期の学生であるという点だ
それ以外は全くもってテイストが全然違う。
そもそも「空灰」は群像劇という形をとっており、いくつかのエピソードを除いて主人公は定まっていない。
「月曜日」は主人公が考え、行動し、成長する。言ってしまえば普通の漫画だ。
そして私は普通の漫画である「月曜日」で泣いてしまった。
「月曜日」のオチを簡単に言えば、成長に伴い捨ててしまうものを見つめ直す話、そうこれは大人に対して描かれた中学生の淡い恋愛漫画だったのだ。
人並みの青春や色恋を捨てて大人になりきれなかった私には突き刺さった。
そして今に至る。
私は作者、阿部共実のファンになり漫画はほぼ全て新刊で買い揃えた。(「ちーちゃんはちょっと足りない」だけ新刊がてに入らないので買えてないのでブックオフで立ち読みした。主人公が成長しないので嫌い。)
そんな阿部共実先生の現在の連載作品、「潮が舞子が舞い」を、買ってくれというお話でした。
純粋なオススメは「月曜日の友達」だ。
あと「空灰」を当時お付き合いしていた人に貸したら帰ってこなかった。借りパクである。それでは
kakesobaでした。