一日一歩三日で和三盆

2023年11月ポールプリンセスというアニメ映画を見た。

タツノコの新作ということで膨れる期待を隠せずに劇場へと向かう。

本日の同行者は2人。いづれも同僚だ。

 

そんな書き出しで日記を考えていたがあまりにも長くなりすぎるので初見の感想だけ残しておく。

序盤から中盤までのドラマパートは結構きつかった。知らない他人の話は美少女だとしても耐えられないのだ。

しかしライブパートに入ってからは一転、実に11年もの間3DCGを作り続けてきたタツノコのそれは年々進化を繰り返し、常に最高を更新し続けている。

 

女が女の中をすり抜ける動作中に一切めり込まない衣服たち

長物の動きまで優雅な和服の女

激しいダンスにもついてこれるマント兼旗

 

前半のショーだけでもありえないほど技術とポールダンスの凄さを見せつけられた。

前半はライバルグループ、後半は主人公グループのショーとなる。

前半であれだけすごいものを見せつけてきたなか、これを越えるものを出されるのだろうか、と不安になる。

しかしそこは天下のタツノコだった。

今回は技術よりも今まで培ってきた演出や文脈で「どうせ見に来ているプリティーのオタク」を殴りに来たのだ。

 

フラッシュグローブを誰よりも力強く

異世界を作り上げる創造力

ポールを握り続けるという心中宣言、そして羽。

 

どれもが見たことがある。それなのに実に新鮮に、彼女たちの物として脳内に叩きつけられる。

こんなに上手く減価償却ができるものだろうか?

郷愁と次世代という相反する思想が心をえぐり席から立てなくなったのは言うまでもない。

 

 

そんなこんなで上映の続いている劇場版ポールプリンセス!!に今も通い続けている。

最初苦痛だったドラマパートも見ていくほどに味がしみだしてくる最高のパートになってきたし実際にポールダンス体験にも行ってみたり実に幅が広がる体験をしている。

この作品がこんな所で終わっていいはずがないと思っていたところ3/14にアンコール上映をするらしい。しかも全国13館でだ。

 

全国13館、奇しくもキンプリの初期放映館数と同じだ。

勿論こんなものは偶然に過ぎない。しかし幾度となくキンプリの奇跡を観てきた私にはただの偶然には思えないのだ。

プリズムのかがやき、きらめきは乱反射して至る所に光を届けている。

 

 

そしてこれからも

 

 

 

ありがとう、見ているね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

PS(プリズムストーン)

劇場版最後に映し出される星座はカシオペアというらしい

ネットにはカシオペア北極星を探す目印の星と記載されていた。

そしてもう一つ、カシオペアから北極星を挟んだ向かい側には、同じく北極星の目印となる北斗七星があるらしい。

 

ポールスターをはさんで向かい合う14の輝く星々。

タツノコ、エイべの意思表示の様な、気がした。

キャラにはこちらを見ないで欲しい

主人公(=プレイヤー自身)が何かしらの役職に着くソシャゲは今や珍しいものではなくランキング上位もそんなようなゲームで溢れている。

 

私はそんなゲームが嫌いだ。

何かしらの役職名で呼ばせるのがそのキャラの自由意志を奪っているようで息苦しさを感じてしまうからだ。

 

なおかつキャラのセリフに恋愛感情を匂わせるようなものがあれば最悪。

そういうソシャゲの場合、多種多様なキャラがいてそのほとんどがこちらに対しての色恋的な欲を向けてくる。

あれだけキャラがいながら、みんな違う性格を持った違う人格を持ったキャラなのにだ。

 

とても気持ちわるい。

設定としてこの世には主人公しか男が居ないならそれも許されると思う。ただもちろんそんな設定がある作品はほとんど無いし、それだけの感情を向けられる説得力もまるでない場合が多い。

 

ただ、世間的にはそれらのゲームがウケている事は事実なのでそれらの話題が出る度に私は口を閉ざすしかなくなる。

 

この感情を共有できる人はいるだろうか。

キャラがこちらの方を向いて性欲を出してくる事の気持ち悪さ。

キャラの人格が操作されてるような不憫に思えてくる感情。

そしてそれを喜ぶプレイヤーが大半を占めている事。

 

私は今ブルーアーカイブというゲームをやっている。

ゲーム中でガチャ石を得る方法はそれなりにあるが、その中にキャラのストーリーを読むことで石を得るという方法がある。

基本的にはストーリーは飛ばしているのだが、プロローグやエピローグにあたるテキストは否が応でも読まされてしまう。

その大体が先生(=主人公)を遊びに誘う内容だったり助けを求める内容なのだが、エピローグではたまに、明らかな恋愛感情がまろび出てるような文が書かれる。

 

その度に自分の中のドス黒いなにか嫌なものが膨れ上がるのを感じるのだ。

 

 

と、ここまで書いてきたのには、それに囚われないキャラをブルーアーカイブ内で見つけたからだ。

 

 

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ヒヨリ~~~観てるか~~~~~~~~~??????

 

 

 

 

ヒヨリは良い。

(なぜかは知らないが)主人公と敵対してるっぽくて、主人公が憐れみから優しくしても心の底から信用はせずそれを利用しようとする心意気すら感じる。

ゲームの中に生きるキャラとして自立して、どのキャラよりも人として見ることが出来るのだ。

 

ヒヨリにも運営の手によって変態衣装を着させられる時が来るだろう。

しかしヒヨリはプレイヤーに媚びること無く自分の道を進むことが出来る。それが出来る子だと信じている。

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彼女まで変わってしまった時、本当にこのゲームはどうしようもないものになる。

 

彼女こそがこのゲームに「」を与えているキャラなのだ。

怪文書を尋ねて

空に太陽がある限り眠りは訪れない。

人間の脳は太陽並の明るさを目で感じるとスイッチを入れるらしいからだ。

 

人は寒さによる極限状態では全ての感覚が麻痺して暑さすら覚えるらしい。

 

今日もいい天気だ。しかしそれを感じるのは視覚のみだ。

 

視覚ですらない。

 

窓から射す陽を確認して今日が晴れだと認識した。

 

これは視覚か?記憶か?

 

クーラーは通常に作動している。

 

窓の外にとんでもない光源がないとも限らない。

 

スマホの時計表示は09時05分となっている。

 

これも怪しい。

 

悪意の有無に関わらずそれぐらい誰にでも出来そうだ。

 

悪意という概念すら無いかもしれない。

 

外敵というのは野生を失っても外敵だ。

 

外の気温を想像すると死にたくなってきた。

 

でもこれは死にたい気持ちなんかではない。

 

死は理性を超越してまで選ぶかけがえのないものだ。

 

それを生きたいと願う人間が口にするのはおこがましい。

 

早く死ね。

 

死ね。

 

死ね。

 

死ね。

 

死ね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

眠れぬ朝になってしまった。

 

僕は布団をかぶりスマホを開く。

 

怪文書というのは難しい。

 

ある一定の文章力を持った人間が生み出せる世界だ。

 

私に世界を構築するのは不可能だった。

 

だからせめて俺だけの睡眠が欲しい。

 

その願いが聞き入れられた時、初めて自分は思うだろう。

 

そんな事しか叶えられない神など死ね。

「読み応え」に対する考察

日頃から散文を投稿するのは己の整理が目的だ。

その時に感じたことを更正することも無くただ垂れ流している。その証拠に公正という読みは分かっていても漢字が分からないものを調べる気もなく「間違えてるだろうな」という考えの元、こんな言い訳までして事実として垂れ流している。

 

そんな文に読み応えなどがあるわけが無い。ここに書かれるのは妄想と相違無くそれに感性を刺激されるようならあなたの創作感はひねくれています。

 

では「読み応え」とはなんなのか。

今回の結論は「愛」だと考える。

今日文章を書きたくなった理由はとある自叙伝?エッセイ?のAmazonレビューを見たからだ。

 

私はその作品の筆者の事を全くと言っていいほど知らない。テレビ等では紹介されているらしいのだが、恥ずかしながら俺は自分の部屋にテレビを置いていないし契約すらしていない。

いわゆるインフルエンサーらしいのだが、ネットの中ですら引きこもりのような私にはリアルネット両面で無縁の人物だ。

 

その人が己の半生を書いた本を出したらしい。(その人が実在するかも確認はしてないので断言は控える)

俺にとって全くと言っていいほど興味が無く関わりもないのだがそのレビューの中にとんでもない長文が投稿されたらしいのだ。

 

大概こういうものはとんでもないアンチか信者かだ。長年無駄に祭や炎上を対岸から見ていたわけではない。

 

しかしそれだけではカゲロウで鍛えられた私のレビュー腹筋もレビューセンサーも反応はしない。どうやら今回のハイパークソ長レビューはひと味違うらしい。

 

どうせ眠れない休み明けの布団タイムだ。俺はAmazonを開く。そしてあらかじめコピーペーストしていた本のタイトルを検索にかける。

 

 

全くの余談だが、私は自分が知らないものや嫌悪しているものを口にしたり手に取るのが耐えられない人間だ。そうして長年ネットで時間を潰して人生の擦り合わせをしているとその悪癖はネットでの立ち振る舞いにも現れてきた。今から私にとっておぞましい行為をしようと思う。「ゴキブリ」「パパ」「ママ」「ピーマンの肉詰め」

恐ろしく不快な気持ちになった。どうしてもそういうものを文に使ったり検索をかけなくては行けない時にはコピーペーストを有難くつかわせていただいている。

 

 

そしてそのページのレビューから特段評価されてるものを開く。

その瞬間に俺のスマホが文字で埋め尽くされる。スクロールバーを確認するがその動きは亀を想起させる。

これは噂に違わぬとんでもないものだという不安と興奮が俺をレビューという文字の世界にダイブさせる。

 

文を読むのは慣れていない。慣れていれば「高卒」から「高卒!」ぐらい言いきれるような学校に入学できたと思う。

約45分の読書を終えた俺には、そのレビュアーの筆者に対する愛がとめどなく出ているように感じた。

 

おそらくアンチならもう少し簡潔に問題点を述べバッサリとかっこよく(見えるように)書ききっていただろう。

おそらく信者ならもっと作品の内容を隠して筆者の事をレビューしていただろう。

 

しかしこのレビューにはその両方が一切無く、忌憚なく言うなら問題点をダラダラと、念押しするように何回も、別の項目にわけてまで書いている。

 

まるで肉親の説教のように。

 

俺は親が嫌いだ。恨んでいるとまで言ってもいいかもしれない。そんな俺がその説教じみたレビューに愛と親をみたのだ。

 

そうしているうちに時間を感じさせることなく文章は終わっていた。

 

これが読み応えのある文というやつなのだろう。

 

そうして俺は「読み応え=愛」なのだろうと感じたのだ。

 

正直そのレビューは誤字?というより感情がどう出てるか分かりづらかったので読みにくい部分はあった。それでも集中して最後まで読み切れたのでやはりすごい文なのだろう。

 

 

 

 

ここで私の考察を終了とさせていただく。

私は年齢だけの大人だ。

愛というものについて考えさせる作品が大好きなのを自覚しているがそれは愛を知らないからだ。

愛を描く作品ではなく愛という抽象を定義付けてくれる作品が好きなのだ。

そしてそういう作品は愛を描く作品と比べて実態がヴェールに隠されているためパッケージや表紙からは分からない。

だからたまたま手に取ったタイトルがそういったものだと運命すら感じてしまう。

そして今回手に取ったものはAmazonレビューだった。

 

世界に作品はそれこそ無限にある。

SNS時代になった現代では比喩ではなく現実として無限が体感出来る。

その中で私が出会った今回の作品に感謝を送りたいと思う。

 

 

短編「日記」

その日も普通ではなかった。

傍から見れば日常と何ら変わらなく映るだろう。

しかし、視点を彼女のものにすればそれは簡単に違和感になる。

彼女は几帳面だ。親の教育はおそらく関係なく、そういった手が入る前の根元からなのだろう。

そんな中での違和感とは。

 

帰宅した彼女はスマホを起動する。開くアプリは「写真」。

今朝撮ったものと見比べる。写真の中のカーテンは閉じられている。そしてスマホの先にあるカーテンは2センチほど開いている。

もう違和感では片付けられない。

彼女は慎重に振り向いた。そこに視線は無い。

彼女は何かを探すように部屋を見て回った。その他の違和感や隠しカメラの可能性を疑ったからだ。

 

1時間ほどの捜索の後、それらしいものは何も見つからなかった。

クローゼット、押し入れ、浴槽、人が入れる可能性のあるものも同時に見て回った。しかしそこには自分の生活の匂いしか残されていない。

 

彼女は押し入れに入り屋根裏を見る。

ネズミの一匹すら見つけられず戻る。

 

彼女はカバンから周波数計測器を取り出した。俗に言う盗聴器発券機だ。

出来ればこれは使いたくなかった。これを使って見つかってしまったらと思うと…恐怖と面倒くささが同時に迫ってくる。

しかしそんな事は言ってられない。

発券機の電源を入れ、説明書通りにボタンを押す。

低い機械音が部屋に響く。説明書によれば異変があると高い音が出るとの事だ。

念入りにそれをかざす。コンセント、タコ足用のコンセント、PC内、備え付けられていたエアコン…

 

そして結局それらに以上は無かった。

ここまでしてようやく彼女に悪寒が走る。

己では解決できない、なにか大きな力が働いているとしか思えない。

しかし彼女は考えるのが苦手だった。夜ご飯を食べ、風呂に入り、出た頃には正直どうでもよくなっていた。

違和感は今後も続くだろうという漠然とした不安。しかしそれすらもめんどくさいと思う本心。そしてなにか事が起きてからでも大丈夫だろうという油断があった。

 

そうして彼女は眠りにつき、朝になった。

出勤までの貴重な時間。彼女は寝坊した事さえないが、ギリギリまで寝ていたいという気持ちはあるので朝はバタつく。

 

そんな中でも戸締りや軽い掃除は忘れない。

そして彼女は全ての準備を終えてカーテンを閉めた。これは学生の頃からの習慣であり、それは今も続いている。彼女の几帳面さを表すエピソードとなっている。

 

そして彼女は常に変わらない間合いでカーテンから離れ、玄関に向かった。

その時に学生の頃からふとましくなった体がカーテンに引っかかったのは、些細なことだろう。

眠れないことに対する考察

フリーターの身である社会人に限った話ではないが睡眠が必要でない人間は存在しない。

 

私も一般的な人間の体構造をしているのでそれは同じだ。

 

しかし理性とは裏腹に私の体自身は床についても睡眠のための行動をしない。

 

しかもそれはバイトが休みの日に限られていた。

 

このことから私はこれをファンタジックに解釈している。

 

「私は休みの日が好きで仕事をしたくないから、その日が来てしまうのが怖いから寝ない。」

 

そう思わないとやってられないぐらい眠れないのだ。

 

そうしてくると見えてくるものがある。

 

連勤の日は眠れるという事実に対しての考察。

 

「バイトをした次の日はまた勤務があるということを受け入れ、諦めている。」

 

という事だ。

 

これも一際ファンタジックだと私は思う。

 

どうにも目に見えている現実から目を背けているような感覚を受けるのだ。

 

そしてそれはほかでもない私の事なので大体の想像はついている。

 

恐らくだが。

 

運動不足によるものだと推測できる。

 

私の休日の過ごし方は朝頃に寝て夕方に起き、ゲームをして飯を食う。

 

そして動画を見てそろそろ寝ないといけない時間になれば床につくというものだ。

 

そうだ。

 

その日に用意されたエネルギーを消化する程の運動をしてないのだ。

 

ましてや普段週5で入ってるバイトをしてないとなれば体が用意してくれるエネルギーの半分も使ってないだろう。

 

だからと言って体を動かすのならばゲームをする時間にあてたい。

 

体を動かすこと自体は嫌いじゃない。

 

その証拠、とまではいかないが基本的に私は6つ程駅が離れているバイト先からの帰り道はいつも徒歩だ。

 

しかし休日というのはそのスイッチすら遮断される。

 

以上が私の睡眠障害に対する考察だ。

 

正直本当に睡眠障害に悩まされている人間に枕でぶん殴られそうな内容だとは分かっている。

 

しかしこうやって少しは脳を使い文字をひりだす事で寝るためにエネルギーを使っている。

 

そのことに関しては1つ大目に見て欲しい。

ギリギリの動く指先

これが鬱だと理解したのはすぐだった

 

バイトからの帰り道、腹が減っていたのでこの時期に闇営業している店に入る

 

ババアから「今お客さんいっぱいだから15分ぐらいかかる」と言われた

 

どう考えても15分程度なら待っていられる

 

しかし俺は「あ、めんどくさいんだな」と思い深く考えずに店を出た

 

そして少し歩いて拭えぬ違和感に押しつぶされた

 

あまり使いたい言葉ではないが俺は客だ

 

現代日本で客が譲歩することなどあっていいのだろうか

 

というよりもそこで空気を読み下がってしまった己の弱さに潰された

 

そこから自室に戻るまでの道は険しかった

 

いつもと何ら変わりない道が迷路のように俺の前に立ち塞がり坂のように俺の体力を奪う

 

ようやく抜けると次は部屋の扉という巨大な壁が立ち塞がった

 

とある事情から俺はその部屋が俺のものではないような気がしていた

 

入りたくない

 

その思いは足に伝わり指先に伝わり俺はアパートの前でタバコに火をつけた

 

2本吸った後に立ち上がる

 

とうに尻は痺れていた

 

部屋に入っても居心地が悪い

 

ゲームも動画も何もかもがつまらない

 

オナニーもする気にはならない

 

が、した

 

義務感による毎日の発射

 

そんなものは本当のオナニーではない

 

俺はその手でこの文を打っている

 

俺はこれから少しデッキをいじってから夜の散歩に出掛ける

 

もしもその旅路に何かあれば

 

これを読んだ誰かぐらいは

 

義務感ではない正真正銘のオナニーを楽しんで欲しい