胸焼けが体を縛る

私は胸焼けに悩まされている

前職の時から仕事に行くと胸焼けでまともに立っていられなくなる

しかし家に戻ればその症状は出ない

 

なので医者に聞いた訳では無いがおそらくストレス性なのだろうと思っていた。

 

今の仕事は大抵の事が楽しく感じていた。しかし最近胸焼けを起こす。

そして私は最近さらに体重が増加した。

 

この事からストレスは全くの無関係という訳では無いが全てがそれではないと結論づけた。

 

 

しかしそれらは全て塗り替えられる事となった。

 

つい数時間前の事だ。私はバイト先から帰宅しゲームをやっていた。今日のバイトも胸焼けを感じたし立っているのが辛かった。

やはり帰ればその症状はなくなる、というのが常だったが今日は違った。

帰宅から何時間経とうと一向に胸焼けが止まらないのである。

さらに胸焼けだけではなく胃酸が逆流までするではないか。喉元が酸っぱくなりヒリヒリとする。

 

理由は少し考えれば明白だった。今私がプレイしているゲーム、遊戯王マスターデュエルが原因だ。

 

私は数年前まで遊戯王をプレイしていた。しかし度重なるインフレや規制によって私の好きなデッキはついに戦えなくなってしまった。

コナミが用意したコナミが作るフェア環境に嫌気が差した私は遊戯王を辞めるに至った。

 

そして数年越しに私の目の前に現れたマスターデュエルは私に久方ぶりの現代遊戯を叩きつけてきた。

私はそこに軽率に足を踏み入れ、手に取ったのは私が五指に入れるほど好きなマドルチェというテーマだ。

詳細な展開は割愛するがHEROを覗いて7、8期のテーマで手札誘発を12枚+‪α積めるのはこのデッキぐらいなものだろう。

そうして潜ったランクマッチで私は数年前の挫折を今一度味わう事となった。

 

マドルチェよりも少ない必要札でマドルチェよりも強い展開。

それでいて手札誘発はテーマ内で貫通可能という強靭さ。

なおかつ必須スロットは少なく手札誘発や罠がガン積み。

 

私は指を折りマドルチェを蔵の奥へと追いやった。

 

そして私は環境デッキを手のとった。

安くて考える事が少ないと話題のエルドリッチだ。

 

エルドリッチは私にとって刺激物だった。

デッキをコピーしただけで回し方など何も知らなくても回せる強靭なテーマ内完結力。

それでいてキルパターンの単純さやフィニッシャーを支えるカードの圧倒的制圧力。

そこから生み出される圧倒的な試合時間の長さ。

そして浮き彫りになるマドルチェの弱さ。

 

 

何もかもが私の遊戯王観を否定していたのだ。 

強いデッキとは、何か。その疑問に答えるならば、私はこういうだろう。

「俺が好きじゃないデッキ」

 

かくしてマスターデュエルは私の数年前に封印したはずの遊戯王へのドス黒い感情をまた剥き出しにさせたのだった。

私はこれからもマスターデュエルをやるだろう。ただその度に食道へのダメージは避けられない。現代遊戯に向き合い、手を取る日は訪れるのだろうか。

 

イナズマイレブンGO2を始めました

始まりは幼い時にプレイしたゲームの話をしている時だった。

 

「今の知識でガチ対戦とかやりてぇなぁ」

 

バイト先の人が言うと私はそれに賛同した。そして対戦するゲームはお互いに記憶が薄れているイナズマイレブンGO2という事になった。

 

「1/1から初めて1/31に本番、負けたら昼飯奢りで」

 

私がルールを提示した。向こうもそれを飲む。

 

こうして私たちの1ヶ月の特訓が始まった。

 

 

まず始めたことはゲームを買う所からだ。私は幼少期に3DSを持っていたが、引越しをする際に捨ててしまった。なので買う必要がある。

 

ブックオフに行くと目当てのものがあったので購入。3950円。だいぶ安くなったものだ。

 

ソフトの方も探したが見つからなかった。仕方なくDL版を購入。

図ったかのようなタイミングでレベルファイブがウィンターセールをやっており500円だった。安すぎる。

 

次に始めたのが情報収集だ。やるからにはガチガチのガチでやりたいのだ。

 

そこで得られた情報を簡単に記そう。

まずイナズマイレブンGO2はアームドミキシゲーであること

それまでのシリーズと変わらず超技渾身は必須であること

そして今までのシリーズとは違い超技渾身がドロップしないこと

なので3DS2台持ちが推奨、もとい強要されていること

 

が分かった。

それを知った私は流れるような動きでLINEを送っていた。

 

「2台持ちは禁止にせん?」

 

相手も同じ情報を持っていたらしく合意の上で2台持ちは禁止となった。

 

俺たちのサッカーはまだ始まったばかりだ。

思考が漏れ出してるだけの文章

私が文章をアウトプットする時、それは思考と同時に行われている。

と言うと都合がいいのだが要するに思考が記憶に定着しないのだ。

 

誰しも自分の物語を妄想したことがあるだろう。

それを何かに書き出して見てほしい。基本はそんな事不可能だ。なぜならそれが出来るならそいつは物書きに今すぐなるべきだからだ。

 

私の書く文章が気持ち悪いのはそういう理由だと考察できる。

つまりどこかしら何かしらの精査をされていない脳内の怪文書が辛うじて指を通過して人が読める程度に翻訳されて今ここに書かれているのだ。

 

今ここまで書いた文章、この先書くであろう文章も何も考えてないその時の思いつきが並べられているだけである。

 

皆様は「小説家になろう」というサイトをご存知だろうか。もし知らなくてもオタク趣味に多少知識があれば何かしらで触れ合っているはずなので各自確認をして欲しい。

 

私はそんな所謂「なろう系」の作品をレビューするYouTubeチャンネルを好んでいる。なろう自体が素人投稿サイトであるのでその出来はまちまちというには下品すぎる作品が多く、それらを小馬鹿にするそれらのチャンネルは自ら進んでその道を行こうとしない私にとっては必要なものだ。

 

そしてそのような動画を見ていると湧き出る感情がある。

それは「この程度なら俺でも書けるんじゃないか」というものだ。

そしてそれは数日の成熟の後に実際に紙の上に落とされる。

 

初めのうちはいい。自分の脳にある文章が紙の上で踊るのが楽しいからだ。

だが段々とアウトプットされる情報が減っていき、その領域には「何故こんなことをしているのか」「何故こんなつまらないものを書いているのか」と言う思考がねじ込まれる。

 

こうなるとおしまいだ。それら数千文字の物語未満は消されるかメモ帳の奥深くへと追いやられていく。

 

私はこれを「突発性なろう症候群」と呼んでいる。

私にも過去3度程この発作が起きた。そしてその度に上記のような過程を経て今は何もしていない。

 

そしてこの発作が終わる度に「なろう作家はすごい。作品の出来は無視してまず書き上げられるのがすごい」と思う。

 

結論として私はなろう作家にある一定以上の敬意を持っている。どれだけつまらなかろうとどれだけ偏屈なおじさんから作品を叩かれようとそれでも新たな作品を生み出す彼らの根性は素晴らしいと思っている。

 

 

PS 私はなろう作品を1行たりとも読んだことがない。それは今もこれからも揺らぐことが無いと断言出来る。

情報は食である

結論から言うと情報は食だ。

インスタントな情報は摂取した満足感がある分間違いや語弊が多く長期的な活動には向かない。

 

誰しもが好き好むわけでは無い情報は蓄積された確実性やその栄養から1度取り込めば長く活動出来る。

 

と、そんな事は誰しもが考える事だ。私の意見ではあるが私以外の誰かがもっと大きな舞台で言っていることだろう。

 

なぜ私がこのような思考に至ったか、それはニコニコ動画YouTubeの違いを寝る前に考えてしまったからだ。

 

私が現在YouTubeで登録しているチャンネルはYouTube全体からしたらどれもジャンクだ。

百害の可能性を孕む危険ではない危険物、それが私の好むチャンネルの傾向だ。

一例としてはゲーム実況やクソゲーレビュー、カードゲームの対戦動画などだ。

 

一般教養から掛け離れたそれは他人から見れば嘲笑に近い評価を受ける事だろう。

 

しかしこれらの動画は「YouTube的には」ジャンクであり「ニコニコ動画的には」ベジタリアンのフルコースなのだ。

 

先に一般教養から掛け離れたとは書いたがそれは一般教養の視点からだ。

この視点を私視点にしてみると、登録しているゲーム実況は私の好むゲームを好んでプレイする人に限られている。

クソゲーレビューも私自身が変なゲームが好きでありそれを話すのも好きなので話のネタとして重宝している。そしてたまに買ったりもする。

カードゲームの対戦動画で言えば私の趣味はカードゲームなので常に最新の流行をチェックしておかねば情報の面でも金銭面でも遅れを取ってしまう。

 

このようにYouTubeは私の人生にとって欠けてはならない必要な栄養素なのである。

 

その点ニコニコ動画はどうだろう。

私がニコニコ動画でフォローしている投稿者の一例を記す。

 

ロックマンX固執し10年以上イカれたMAD動画を量産している狂人

素人声優を使ったボイスドラマのBGMをアレンジし続けている狂人

ホモビデオの本編を転載している犯罪者

 

……

 

YouTubeはこじつけレベルではあるが「ジャンク」を「サラダ」にする事は出来た。

しかしニコニコ動画のそれ「ジャンク」どころか「ゲテモノ」あるいは「食べ物ですらない」かもしれない。

 

なぜそんなものを好き好むのか、私にも理由は分からない。

ただそこにあるゲテモノは確実に私の胃袋を掴み、ニコニコを卒業できない人間を中毒にさせている。

 

はじめに言った「情報は食」という言葉。

 

世界は綺麗な方向に向かおうとしている。

どんな情報も精査されより綺麗なものへと、より栄養があるものへとアップデートしようとしている。

清濁のジャッジは出来ない。そのラインを決めるのは私ではない大人だからだ。私ではない大人があらゆる議論を重ねているのに口を出すつもりは無い。

 

ただ、ひとつ言えるのは私はジャンクフードが好きだ。そしてそれが好きな人達は確実にいて、それが無くなれば植えて死ぬ。ということだ。

遊戯王セブンスがクソ面白いという話

アニメ遊戯王シリーズ

その歴史は長く、1998年~2021年現在まで続いている。

今まで放送された作品は

遊戯王(東映版)

遊戯王デュエルモンスターズ

遊戯王GX

遊戯王5D's

遊戯王ZEXAL

遊戯王ARC-V

遊戯王VRAINS

遊戯王SEVENS

と日本でテレビ放送されただけでも8作品もあり、劇場版や日本未公開の海外版も含めればさらに増える。

 

そしてその中にはもちろんの事、出来不出来が確かにある。

そして私が今日お伝えしたいのは現行シリーズの「遊戯王SEVENS(以下セブンス)」がめちゃくちゃ面白いと言うことである。

 

何故セブンスが面白いのか、これを3つのポイントに絞って解説しようと思う。

が、その前に遊戯王アニメの特殊な面白さ基準について先に語らせていただきたい。

遊戯王アニメとは、根本がカードゲームであるため「カードゲーム自体の面白さ」を描ければ基準点を超えることが出来る。

究極的には一般的なアニメの評価基準の作画、ストーリー、声優の全てがダメでもデュエルさえ面白ければギリ許されるのだ。

私が個人的にとても好きなシリーズの遊戯王GXは正直ストーリーは意味不明だ。

主人公への後付け設定の盛り具合だとか3年目がよく取り沙汰されるがよく考えれば1年目から相当おかしいだとかが考えずとも頭に浮かぶ。

それでも私が遊戯王GXが好きな理由はデュエルが面白いからである。主人公だけでなくその他のキャラのデュエル構成や演出には毎話ワクワクさせられる。みていて気持ちのいい作品なのだ。

 

ここでセブンスの話に戻る。

ポイント1、セブンスはデュエルが面白い

セブンスにおけるデュエルは遊戯王OCGではなく、遊戯王ラッシュデュエルである。

このラッシュデュエルとは遊戯王OCGを簡略化させたものだ。全体的なカードパワーを下げ、OCGでは非常に貴重な効果として扱っていたドローのハードルを下げたものと考えて欲しい。

アニメでのデュエルをこれにした事により、扱うカードの複雑さが解消。デュエル構成を考えるスタッフの負担が軽減された事により全体的にプレイングミスが無くなっているのである。

すぐに気づくプレイングミスはそれに気づいた時点で視聴者は萎えてしまうし、その後もプレイングミスをするのではないか?と構えてしまう。

それがほぼ無いため安心して楽しくデュエルを見る事が出来る。

さらに簡略化したことによりゲームスピードも上がり、5D'sやZEXAL以降の作品では常態化していた2話またぎのデュエルも各クールのラスボス戦以外ではしていない。そのためダレる事がなく1話1話に集中出来る。

そして何より基本的に遊戯王ラッシュデュエルのカードデザインに準拠しているためアニメオリジナルカードが存在しておらず(効果が違うカードはあるが後に修正はしている)、そのためカードの裏面もアニメオリジナルのものではなく実際のカードと同じものになっている。

 

ポイント2 、キャラの扱い方

この作品では登場した名前のあるキャラに極力デュエルをさせようとする。もし設定的にデュエルをしなさそうならそのキャラへの味付けを濃くするなどして登場させている。

これはそれまでのシリーズではほぼなかった展開だ。それまでのシリーズでは「デュエルキャラと非デュエルキャラ」「メインキャラとモブキャラ」がハッキリと分かれていたからだ。

セブンスでは極端に分かれさせていないのでその街に住む人々が確かにそこに住んでいる現実感がある。

シリーズを既に見ている方々には「沢渡さんの取り巻きがちゃんと1話を使ってデュエルをする」といえば伝わるだろうか

またキャラの再登場も多く、それも無理なくストーリーに溶け込ませているのでそのキャラのファンには嬉しいことかもしれない。

 

ポイント3、細かい演出による無理のないストーリー展開

遊戯王とは超展開のオンパレードのアニメだ。突然異世界に行ったり、石版が降ってきたり、精神世界に行ったりと普通のアニメならば許されないであろう展開が平然と行われてきた。

それはスタッフと視聴者の間にある信頼関係の元許されたものであり、それを楽しんでいなかったと言えば嘘になる。

しかしそれをやりすぎたシリーズも存在している。そしてやらなかったシリーズもある。

セブンスにはそれらの反省を踏まえてストーリーを展開している節がある。

一つ一つのセリフに意味があり次の展開に繋げているのだ。

遊戯王シリーズは一つのシリーズを3年間以上やる事でおなじみだが、それにより緊張感の薄れや間延びした展開などもおなじみになっていた。

それをセブンスは無くそうとしている。具体的には1クールごとにテーマやラスボスを据えて1クール内でしっかり1本のアニメとして完結させようとしているのだ。だから1分1秒とも尺を無駄にできない緊張感があり無駄な展開や無駄なセリフが減っていて作品にお話が詰まっている=脚本の満足度が高い。

また1クール内で拾う伏線の他、明らかなロングパスの伏線もしっかりと貼っておくなど3年間やるアニメとして必要な事も欠かしていない強かな戦略も垣間見える。

ちなみに私が好きなのは第3クールの「ゴーハ6小編」だ。ラスボスのアサナちゃんが可愛い。そしてラストがいい。

 

以上私が遊戯王セブンスをオススメする理由だ。

遊戯王セブンスは逆境の中生まれた作品である。

前2作の評価、キャラデザや設定の低年齢化、OCGを取り扱わない、コロナ禍など多くの不利を抱えた作品になってしまった。

しかしその中で生まれたそれは明らかに遊戯王であり、遊戯王シリーズの中でもひとつ頭抜けた作品となっている。

キャラデザを食わず嫌いしていた方も騙されたと思って1クール見てもらいたい。

そこにある遊戯王シリーズとは一線を画す何かを感じてもらえたら幸いである。

お久しぶりです。モンスターハンターの実写映画の感想を語ります。

誰も読んでないブログにお久しぶりですと記入する気持ちを答えよ。

 

はい、というわけでモンハンの映画見てきました。その感想をば書き連ねて行きたいと思います。

まず前提として、私はあんまりモンハンをやっていません。累計50時間やってないとおもいます。

あんまり得意ではないんですよね、モンスターハンター

 

そんな私の一言感想は「無難」でした

 

まず良い所

・CGの綺麗さ

すごく綺麗で実写との乖離も無く見ていて気持ちよかったです。

・役者陣の演技

ミラジョヴォヴィッチ始め、役者陣のその場にいないはずの怪物に相対する恐怖の演技が素晴らしかったです。とくにディアブロスとの初邂逅がこちらにも恐怖が伝わってきました。

・美術関係

双剣以外違和感がありませんでした。大剣や片手剣を持ってるキャラも様になってました。

ミラジョヴォヴィッチの握る双剣はあまり画面に合っていませんでした。

・ワールドの受付嬢が可愛い

それ以上のことは無い

 

悪かった所

・金かかってる映画特有の理に落ちる脚本

わざわざアレに理由をつける必要なかったんじゃないですか?

・なのに「俺たちの戦いはこれからだ」END

近年稀に見る超綺麗な打ち切りエンドでした。

ドラクエユアストーリーですら着地はさせてたのでここはそれ以下だと思います。

・ちょっと無理に感じたロケーション

綺麗なんですけど見てるとそんなに動いてないっぽいのに「砂漠」→「オアシス」→「密林」→「断崖」と、そうはならんやろみたいな立地になってました。

 

 

というわけでなんか「普通」「無難」でした

まあゲームを映像に落とし込む、しかもストーリーが無いものを。ってこうなるんでしょうね。

これなら別に映画館で見ないでもいいと思います。どうせ1年後には金曜ロードショーでやるでしょうし。アイルーも可愛くないし。

 

 

個人的に吹き出しそうになったシーンは陸軍VSリオレウスでした。MGSPWドラッグオンドラグーンが始まったと思いました。

 

それでは。

kakesobaでした